不動産業は情報産業だ! インタビュー「家守」ってどんな仕事? (2008/08/13)

「まちづくりで顧客の囲い込みが家守のポイントだ」と語る橘氏
新たな不動産手法「家守」(注1)の開発者であるコンサルタント会社(株)アフタヌーンソサエティ(東京)の橘昌邦さんにインタビューした。橘さんは、「家守」とは、不動産業を情報産業にまで進化させたものだと真髄を説明。課題となっている全国の中心市街地活性化や地域再生の解決策になると述べた。注目「家守」のエッセンス、どうすれば課題解決になるかなどロングインタビューした。
- 注1:家守とは
江戸期、地主に代わり長屋を管理した人の総称。建物の維持管理、店子の面倒、町の世話役まで行ったという。現代版「家守」は、建物管理、テナントの面倒、まちづくりの3つを担う地域プロデューサーの役割だという。
新宿歌舞伎町の事例
――新宿歌舞伎町で実践されている「家守=やもり」の最新情報は?
対象エリアは歌舞伎町1・2丁目(0・35k㎡)。平成17年1月に新宿区が歌舞伎町ルネッサンス推進協議会(佐々淳行・安藤忠雄・堺屋太一・伊藤滋らの著名な識者と、地元事業者・行政などで構成)を発足させ、「クリーン作戦」「地域活性化」「まちづくり」「喜兵衛(Kabukicho International Hotspot of Entertainment Industriesの頭文字KIHEIから名付けた、この中に家守が位置づけられた)」の4プロジェクトを進めてきた。目標は「犯罪インフラの除去と環境美化」「歌舞伎町からの大衆文化の創造と発信」など。
まちを変える具体的手法として「家守」の必要性が浮上し、当社が呼ばれた。歌舞伎町のビルが空室1000室も抱えてしまった。
「家守」は当初、ビルオーナーから賃借した物件を転貸することで空室を埋めていくだけ、といった誤解があった。当社の業務は「ビル空室対策」だった。
しかし、まちのイメージが悪いところへ新たなテナントを呼び込もうとしても無理がある。(歌舞伎町のイメージを変えるための)まちづくりをセットで行わなければならない。
細かなことをやっていてもだめだと考え、まず拠点となる施設をベースにまちづくり・「家守」事業を始めた。
――具体的なまちづくり内容は?
新宿区は歌舞伎町をエンターテインメント(大衆文化の創造と発信)のまちに再生したい。消費主体のまちから、文化を生産できるまちに変えることがテーマ。
拠点としてまず、風林会館(元グランドキャバレーの5階部分、約800㎡)に目をつけ、オーナーの協力を得て、フロアーの貸し出しを始めた。メディアに取り上げられたこともあり、メジャーなプロダクションなどが暫定利用だが、グラビア撮影、レコーディングなどに使い始めた。
いよいよ大手企業の誘致。ところが基本的に歌舞伎町の不動産は小粒。区と相談する中で旧四谷第5小学校の廃校が浮かび上がり、吉本興業東京本部の受け入れに成功した(19年3月開業>参考記事)。現在は「2匹目のどじょう」を狙っているところだ。
――吉本興業が、まちに与えた影響は?
東京本部の約350人の職員はもちろんのこと、関係者の出入り(多い時で1日300人)がある。同時に町内の公園(大久保公園)で仮設テントを設け、お笑い公演を始めた。家族連れなど1日平均250人の来場者があり、歓楽街に新たな人の流れをつくっている。企画には地元商店なども協力している。
――7月に発足したタウンマネジメント(TM)組織って何をやるのか?
組織は、協議会の「喜兵衛プロジェクト」を昇格させた。まちづくりの担い手として「家守」はもちろんのこと、情報発信やイベントなどを実施していく。財源確保のため公共空間を活用する社会実験といった試みも予定する。
当社はTM活動の一環で今年、区から広報・情報戦略の実践を仰せ付かった。新生歌舞伎町は、女性・海外からの観光客・団塊世代リタイア組、といった新しい客層を相手にする。ここにキャバクラ情報を流しても意味がないどころか、逆効果だ。情報編集を当社が担う。
――活動の対価ってどこから出るの?
新宿区だ(16年度から継続)。ほか旧四谷第5小学校廃校舎コンバージョンのプロジェクトマネジメントを担い、ここでは吉本興業からフィーを得ている。旧四谷第5小学校校舎は、関東大震災後、東京市が昭和9年に建設、当時は斬新なデザインが話題となり「東洋一のモダン校舎」とまでいわれた。
歌舞伎町ルネッサンスと呼ばれる、まちづくりの中で核テナント(企業)誘致が行われ、新宿区所有の、この廃校舎に、吉本興業が決まった。
同社は区と10年間の定期借地契約を締結。敷地面積7765㎡、施設規模RC造3階建て、延べ床面積4201㎡の校舎を、骨格はそのまま生かす形でコンバージョン(用途転換)し、20年4月に開業。設計は(有)アーキタイプ、施工は大成建設が、担当した。事業費は8億円という(うち電気設備関係に2億円~3億円を掛けた)。
千代田区神田の事例
――「家守」の誕生秘話を?
東京都千代田区神田エリアから博報堂、清水建設、住友商事などの大手企業が抜け出し、同時に地場産業が衰退してきた問題を解決するため、区が平成15年「SOHOまちづくり構想」をまとめた。空室ビルを受け皿にデザイナーなどのSOHOを呼び込もうというもの。地場産業である出版・印刷業などとの親和性のあるクリエーターをターゲットにした。
しかし彼ら(テナント)は不動産をどう選ぶか、というと、六本木ヒルズのような事例は別にして、まちを先に選択する。当然、神田のイメージを変えなければ呼び込みは難しくなる。
日本政策投資銀行からの紹介を受けた当社がまちづくりプロジェクトに取り掛かることになった。現代版「家守」の最初の実験だった。
クリエーターを呼ぶため、当時青山で開催されていた「東京デザイナーズブロック」というアートイベントの主要アーティストを誘致した(平成15年、次年度からCET・セントラルイースト東京というイベント名称に変更、昨年まで開催してきた)。
空きビル、未利用不動産などを10日間無料で借り、まち全体をモダンアートのギャラリーとした。イベント前には受け入れ側の町会青年部(町を愛し町のことに熱中する「ばか者」?)、クリエーター(「よそ者」)、地元女子大生ら(「若者」)といったまちづくりを担う3者の路上バーベキューパーティーを開き、交流を深めていたことも成功につながった。
メディアが飛びついたこともあり、まちの雰囲気が変化する大きなきっかけとなった。当社は自ら「家守」の実践として、築年数48年という古いビル(346㎡、105坪)の1フロアーをコンバージョン(用途転換)し、10ブース(1ブース6㎡程度)に小分けし、更に共有スペース(会議室等)132㎡を設け、クリエーターの受け入れにチャレンジした。現在、当社の本社も置く同フロアは全室が満室状態だ。
――「家守」は、賃借した物件の転貸というサヤ事業で儲からないっていう指摘もあるが?
世のイメージと当社が考えているものは異なる。
当社では、小・中・大家守の3タイプを考えている。小家守は現場を持ってテナントの面倒を見て、オーナーの相談に乗る。中家守は、小家守の集団をまとめる。大家守は、オーナからの建物改修・テナントからの税制や保険の相談、ひいてはまち全体をトータルでマネジメントする役割。スケールメリットさえあれば儲かる。コンバージョンだけではなく、ビル建て替えなどの要請にも対応できる能力を持たなければならない。
――しかし1番の収益源はテナントからの家賃では?
建築や不動産売買もある。家守は不動産業の進化バージョン。日本の多くの不動産オーナーは経営者ではない。不動産市況がどう動いているか把握していないため、昔からの賃料収入をずっと求めている。そのためテナントを確保できないで困っている。歌舞伎町や神田のような方法でテナントの囲い込みができれば、オーナーがほっておかず、必ずビジネスになる。「家守」の1番のポイントだ。
不動産業は情報産業なのだ。
適正な価格を設定し、進出したい人にきちんと情報を届ければ、不動産テナントは確保できる。まちづくりも必要で、こうした業務を担うのが「家守」だ。
地方再生ではそれを育てて行く担い手づくりがポイント
それぞれが家守につながった
地方再生の事例
――地域再生にも取り組んだことが?
まず熊本県旧泉村(八代市泉町)の福利施設「ふれあいセンターいずみ」の立ち上げをコンサルした。コンペで選ばれた旧知の設計士から相談を受けたことがきっかけ。施設は箱物行政の典型で中身が何もなかった。村長から「財政が逼迫しているため赤字にはできない。できれば議会で『絶対、黒字にする』と宣言してくれ」と、むちゃなことを求められた。
――しかし結果的に初年度から黒字を実現しちゃった?
施設が完成したのは平成9年。
黒字経営を実現できたポイントは「飲食プログラム」の確立。これで収益の核をつくった。料理長は近所の仕出屋さんから、スタッフも地域のおばちゃんたち。村のサービスは、うどん・そばくらいで、しかも注文して食べられるまで30分もかかる。サービス・調理技術がないところでどうするか?外部ブレーンと相談の結果、「炭火焼」を柱にしようということになった。地元素材は良いのだから、自分で料理をすれば30分は待てると。
――差別化できた?
全国公募で選ばれた副館長にはセールスのイロハも教えた。スキルはなかったが、彼が化けた。教えた内容は情報と営業。情報とは、食のネタをつくり発信させることなど。スタッフは努力して、地元のヤマメや地鶏・肥後牛を使った「炉丹彩膳」(2100円)、「滋味彩膳」(1575円)といった定食メニューをつくった。地元価格では、かなり高価だが、これが良かった。営業は、ターゲットをバス会社・旅行代理店の営業所に定め、足しげく回らせた。
――福島県三島町のケースは?
紹介があり「てわっさの里」と「早戸温泉つるの湯」を担当した。同町では、もともと野山の素材で工芸する人々がおり、地域資源と位置づけ、彼らの家の一部や共同施設を工房として開放、町全体をギャラリーに仕立てて観光客を呼ぶ作戦を立てた。準備期間の2カ月間で44カ所もがオープンした。
――「つるの湯」も初年度から黒字を達成したと聞くが?
温泉旅館が閉鎖、町が買い取り日帰り温泉施設として再生、平成16年にオープンした。地元有志が企業組合をつくり、公設民営方式で管理運営を担当している。
年間2万8000人の客が訪れれば黒字にできる計画にしたが、初年度から5万人を超す集客を実現できた。ポイントは、民間ベースの当たり前の計画をつくったこと。もともと泉質が良く、ちゃんとやれば客は来ると踏んでいた。
――熊本・福島ともに今もビジネスとして継続している?
まちづくり系のコンサルで1番良い仕事人は「おまえは何もしていないじゃないか」と怒らればならない。まちづくりは理念ではないと考えている。もう1つのキーワードは情報。ターゲットを定め、的確な情報伝達を行えば、顧客は確保できる。こうした実践の中から改めてビジネスとして成立させること、情報操作の重要さを痛感し、それを「家守」に発展させていった。
