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トップインタビュー・三森久実氏(大戸屋社長) 大戸屋の原点「お客様に安全でヘルシーな新鮮でおいしい料理を提供したい」

大戸屋 三森久実社長

適切な利益は不可欠・大切なのは何のためにそれをやるのか?

 

 

――最近、何社かの大きく伸びてきている創業社長さんにお会いしているんですが、共通しているのが、皆さん自分の仕事(人生の目的や目指すもの)に神が乗り移っているかのような徹底したこだわり、思い入れ、エネルギーを持っておられる。人生をかけておられる。社員と家族・株主のためにも適切な利益は必要不可欠だが、「金」だけではない1人の人間・人生としての価値観「何故やるのか?」も大切。2代目とはいえ創業社長に近い三森社長さんを「生涯定食屋」に駆り立てるものは何か?

 

 私は山梨県勝沼の観光ブドウ園の息子。父親の兄に子供がなく、「伯父さんの養子になるんだよ」と、いい聞かされ、小さい頃から本当に伯父に可愛がられて育った。14歳の時に東京に出て伯父の養子になる。養父は自分の後を継がなくてもよい。好きな野球をやれと応援してくれた。プロ野球選手になるのが夢で帝京高校で野球に没頭していた。

 

 卒業間近になって野球をあきらめ、野球をやらないのなら大学へ行っても仕方ないと進路に迷っていた時、養父のアドバイスもあり、先ず日本でフランス料理を習い、その後で渡仏して修行しようと養父の紹介でフランス料理店へ弟子入り。19歳の時、養父の連れ合い・義理の母の容態が悪くなり、長期の入院。養父も体が思わしくなく、私が池袋の「大戸屋食堂」を手伝うことになった。その養父が1979年、私が21歳の時に急死。本当に養父には可愛いがってもらったし、尊敬していたからショックで、どうしたら養父の恩に報いられるかを考え続け、養父の残した「定食屋」を一生の仕事として発展させると決心。

 

全品50円、当時1 日1000人の大繁盛店

 

 伯父が山梨から上京してきて1958年に開業した「大戸屋食堂」は、全品50円均一の池袋では有名な駅前食堂。1・2階で48坪の汚い店だったが、学生や労務者を中心に1日1000人以上、月商3000万円以上の大繁盛店だった。

 

 アメリカの外食産業が日本に入ってきた頃で、大戸屋食堂をチェーン化しようと考えた。相談すると「定食屋がチェーン化できるわけはない」と皆に反対される。「何でできないの?」チェーン化を始めた居酒屋もあるし。駄目だと言われれば言われるほど何故?と反骨心が沸いてくる。当時の客単価が1人400円で1日2000人。今から27年前の23歳の頃には現金が7~8000万円たまっていたので、1983年、7000万円の保証金を払って高田馬場駅前路地のビルの地下に2店目の大戸屋食堂を開いた。ビルの地下で食堂をやったのは私が最初かな。1986年、27歳で1億7000万円かけて3店目を吉祥寺に開店。池袋・高田馬場は男の町だったが、吉祥寺はパルコ前ということもあっておしゃれな女性が多い。大丈夫かなと心配したが6000万円くらいの売り上げがあった。3店が3店とも繁盛店で3店で5億円くらい売り上げがあった。


居酒屋などの失敗で定食屋一筋を決意


 その頃、いきがって阿佐ヶ谷駅前に居酒屋を出店、ハンバーガーショップのフランチャイジーになって山梨に3店を出したがいずれも失敗。自分の甘さと養父の優れたビジネスモデルを思い知らされる。丁度その頃、1992年9月1日・34歳の時、吉祥寺店が火災を起こし、迷惑をかけた近隣に頭を下げて回り「俺の本業は定食屋なんだ」と原点に戻って定食屋1本で再出発・勝負することを決意。


女性が入りやすい店・ヘルシーなメニューで


 資金繰りが苦しい中・吉祥寺というおしゃれな土地柄を活かし、女性に気に入られ女性が入りやすいように明るく清潔な店にリニーュアル。朝の8時に起きて店に直行、夜の11時まで厨房と経営に没頭。家に帰るのは毎日午前1時。1年半東京から一歩も外に出ず必死に頑張る。この時に生まれたのがヘルシーで女性に支持される料理・メニュー。1年後には女性客が5割以上に。高田馬場店も同じように改革。ここでようやく女性が入りやすい現在のおしゃれな「大戸屋」が誕生したのです。


客の顔を見てから調理
チェーン店でも専門店の味


――私も大戸屋へよく食べに行きますが、専門店並みに本当に美味い。このコツは?

 

 日本人が一番長生き。日本食が一番ヘルシー。一流の料理人がいるわけではないので、「素材・物流・冷凍解凍・保管・調理方法などの総合オペレーションシステム構築による商品の差別化」が勝負。「おいしくヘルシーな料理をいかに安全に、気持ちよく食べてもらうか?」が全ての原点です。

 

 おいしさやヘルシーさ、なぜ定食がいいのか、などに対しても、料理家や栄養士・医学者などの専門家を交えて、世界に通用する科学的な根拠を確立することが大切。

 

 工場で加工度を上げれば上げるほど、時間がかかればかかるほど栄養素が落ちる。そのため、外食産業では常識のセントラルキッチン(調理工場)は設けず、専門店と同じく調理は各店内でお客の顔を見てから行っている。炭火焼のグリラー・野菜を5度で保つ横向きのエアーカーテンを使う保冷器(コールドテーブル)や1人用おろし機などを独自開発。葉物野菜の自社生産を来年1月から予定しており、野菜は前夜仕入れたものを新鮮なまま翌日食べてもらう工夫もしている。

 

 また大戸屋はヘルシー・清潔・安全・気持ちよい店をモットーに全店禁煙を通している。

 

 もうひとつが、経営理念を根底に置いた「人の教育の徹底・人間尊重システム」。店長が養成できなかったら出店しないなど。

 

――フランチャイズに力を入れているのも、地方の優秀企業なら、それだけの人材を持っているし、育てられるからですね。

 

 そうです。フランチャイズ選びはトップの経営理念が決め手です。

 

――関東圏以外への進出計画は?

 

 地方にはすごい個人店がいっぱいある。シャッター通りとなった商店街の中でも、そこだけが満員の店とか。素材がよくて野菜サラダでも土の臭いがするような新鮮なものを出す。

 

 このレベルに達しないと、地方では支持を得られない。


海外での店づくり

 

――タイが12店舗・台湾8店舗・インドネシアのジャカルタ1店舗・香港1店舗と、海外でも大当たりですね

 

 2005年に大戸屋海外1号店をタイ・バンコクのトンローに「大戸屋ごはん処トンロー店」を開店させた。客単価は1食250バーツ/850円で、平均的バンコクの外食費の5~6倍。最初は日本人が8割だったが、現在ではタイ人が半分以上。

 

 タイを選んだ理由は失敗して閉鎖する場合、欧米に比べ損失が少なくてすむこと。

 

 おかげで現在ではタイ12店。台湾8店、インドネシアのジャカルタ1店で7月14日に香港1号店を開きました。

 

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――急激な少子高齢化の日本。多くのチェーン・フランチャイズ、多くの若者が海外進出をしています。中国やその他の国への進出はいかがか?ベトナムやその他でも、よい提携先や紹介物件があれば進出する気はあるか?

 

 中国での勝負は北京オリンピック・上海万博後。大きなマーケットだが危険も高い。香港や台湾でトレーニングしノウハウを学びベースを作ってからと思っている。

 

 この他、今、韓国の企業とロンドンからも話を頂いている。なおベトナムでもどこでも、よい話があればお聞きしたい。

 

――国内でも良い土地やショッピングセンター、駅前繁華街ビルなどで、出店可能な物件があったら進出するか?その場合、紹介してくれた地元の建設業者や不動産業者に仲介や工事等を発注することは可能か?

 

 国内でも、建設会社や不動産会社に良い土地や出店可能なショッピングセンターや駅近くのビルを紹介していただき、それがまとまった場合には、その不動産会社に仲介をお願いし、紹介者が建設会社なら工事の発注も検討したい。

 

――今年バンコクに講演に行った際、大戸屋さんのトンロー店の店舗デザイン・日本庭園・オープンカウンターを「自然との共生・融合」「豪華さの主張ではなく、控えめでタイの文化と同じ、他を理解し受け入れる"和"を大切にする日本人の心・文化」として写真で紹介させていただいた。

 最近の大戸屋さんは食べ物ばかりでなく、日本のよさを大切に、21世紀型の新しい日本の庶民文化を海外に広めようとしているように思える。勿論、坪何百万円もの建築物などは別として、建物・店舗でも「日本の誇り・日本庶民文化の担い手・紹介者」として頑張っておられる。それがタイでも受け入れられ始めている。

 

 110年前アメリカのフォードから自動車づくりの技術を学び、今ではトヨタが世界一のブランド。ホンダ、パナソニック、ソニー・日立・東芝など、いずれも当初は欧米から学び、自分たちの技術・製品を創り出し、ブランドになっている。メイドインジャパン。海外で日本のメーカーや商品の評判はめちゃくちゃにいい。そうした日本企業、「日本のものはいい」というイメージの恩恵を受け、感謝しながら出店している。外食産業だってアメリカのファーストフードから学んだ、まだ新しい分野。学んだものを生かし、変化させ、今度は世界に通用する日本の外食ブランドを創造していくことが大切。

 

――それにつけても、大戸屋さんには、歴史や伝統・文化を知った上で新しい日本庶民文化の創造と、ブランドを創り出すだけのポテンシャルがある。こうした力・魂はどこから来ているのか。

 

 20代の頃、松下幸之助さんや中村天風さんの本を多く読んだ。京都に松下資料館がある。そこに松下幸之助さんの「人生の生き方・考え方」、「働くということ・正しい仕事観・経営理念・経営哲学」や「人材育成」などの著書や映像がたくさん展示されています。

 

 弊社ではみんなを、この松下資料館へ行かせています。そこで理念や志を学ぶ。技術開発でも、新しい創造でも「何のためにやるのか?」を考えさせるために。

 

 資料館の近くの南禅寺のそばに幸之助さんの茶室「真真庵」があり、一般には公開されていませんが、その地下には日本の伝統文化・日本を創ってきた国宝級の職人さんたちが、伝統の上に新しい創造を入れて創った作品・技術・製品など、未来に繋がる科学や文化そのものが展示されています。たまたま見せて頂く機会があり、それを見た時、これこそが日本人が、日本のメーカー、企業が最終的に目指すべきものだと深く感じさせられ、教えられました。

 

――最後に趣味と、ご家族のことをお聞かせください。

 

 趣味というか太っては駄目ということで1日6~7㎞・1週間で40㎞くらいジョキングをしています。

 

 酒は好きで食べ物屋で飲みます。和食に合う白ワインか日本酒。

 

 1年に1度、女房と妻の母・兄とタイに行きます。これもタイの日本人スタッフとタイの店のマネージャー40人くらいを呼んで慰労パーティーを開催するためです。

 

 日曜日は、最近は移動日でなかなか取れませんが、休みの時は女房と女房のおふくろさんを呼んで一緒に夕食を食べます。

 

 子供は今、大学生。仕事が趣味といわれればそうかも知れません。


大戸屋は旨い何故か? 秘密を探る

 

一流専門店と同じこだわり
材料・物流・調理に徹底した差別化


 外食産業では常識のセントラルキッチン(調理工場)で調理して、各店では電子レンジで温めて出す、という方法を大戸屋では取らない。チェーン店でありながら、専門店と同じ、調理は各店内でお客の顔を見てから行う。三森社長はキャベツ畑や材料加工工場まで全部自分で足を運ぶ。

 

 魚や肉の味を落とさないため解凍・フローズン(冷凍)の回数をできるだけ減らし、仕入れから各店の厨房まで2フローズン0.5解凍が基本。10~11月に獲れ日本に送られる脂肪分27%というノルウエー産の最高のサバでも、中国で半解凍のまま内臓を取り3枚におろし、すぐ塩水につけフローズンして、日本の各店に配達。5度くらいの冷蔵庫で24時間~36時間かけて解凍。それを大戸屋独自で開発した炭火焼きのグリラー(サラマンダー)で、客の顔を見てから焼いて出す。

 

 野菜も前日の夜、農家から大戸屋の野菜専用ピッキングセンターに入ったものを各店に振り分け、5度前後に保てる保冷器(コールドテーブル)に保管し新鮮なまま出す。一般のキッチンの保冷器は野菜を下から冷やすので、キッチン内が30℃に以上になることも多く、どうしても表面が温まりやすく野菜が15~18℃に上がってしまい、鮮度と味が落ちるので、横向きのエアーカーテン付きの機器を開発。ふたの開閉も不要。従来の保冷器を使う場合は上部に氷を乗せ新鮮さを保ち、味を落とさないようにしている。大根おろしはおろして1~2時間時間後くらいで味が飛んでしまうので、各店で洗浄・皮むきをし、独自に開発した1人前用のおろし機で注文毎におろす。

 

 最近は、千葉大園芸学部教授の紹介で、卒業生で千葉大と共同研究している千葉県松戸市の水耕栽培システムを手がける「みらい」の嶋村茂治社長から技術提供を受けて、山梨に室内水耕栽培自社生産施設・大戸屋グリーンルームを設け水菜や葉物野菜の生産を始めている。40倍の生産効率が見込める。

 

 米はブレンド米。1回4㎏もの米をとぐ。米とぎも手のひらを卵型にして優しく(強いと割れてしまう)20回かき混ぜ、お米を返し、さらに20回、これを何度も繰り返し、最後に水ですすいで、ふっくら炊き上げるため30分間水に浸し、備長炭をいれ(外国ではお酒を入れることも)水のカルキの臭みをとり炊き上げる。

 

 肉も加工工場でカットと天婦羅・フライ・トンカツ用の粉振りだけして、それをチルドで各店に配送、冷蔵庫保管し、客の顔を見てから料理し出す。

 

 バニラアイスや抹茶アイスは無添加・無着色。味噌汁も各店舗でダシをとって作る方法を開発中。

  海外では、和食の味のベースとなる醤油・ダシは、関税がかかっても、わざわざ日本の醤油を冷凍して運び、魚も一番上質なものが集まる日本から入れている。海外での野菜栽培も検討中です。

 

(伊澤和馬)

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